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幸福を分析すると、幸福度が低下するって本当なのか?

 

三連休。子どもが風邪をひいてdown。ほぼ家で過ごした桑原です。

ウォーカー(歩く人)の私としては、外に出たい衝動との戦いでした。

 

さて、本日のテーマは「幸福度」。

 

実は、

「幸せになりたいなら幸せを分析してはいけない」

というのが、現時点での科学の結論です。

 

パートナーや子どもに対して

幸せですか?どんなふうに幸せ?どれぐらい幸せ?

みたいに、 幸せについて質問していませんか?

 

こんな風に幸せについて分析すると幸福感が下がってしまうのです。

 

1つ目の理由は

人間の脳は、事実を捻じ曲げてでも物事に対して明るい見方をしようとするためです。

(認知の歪み、認知的不協和)

 

例えば

 サッカーの試合で勝ったとしましょう。

 この時、その日の天気や対戦相手のコンディション、味方のフォローなど

 処理に結び付いた要因はたくさんある。

 しかし、幸福度を高めるためには、それらの要素に目を向けるよりも

 「自分の頑張りが実った」「実力で勝った」と明るい情報を単純に信じているほうが

 幸福度が高まるわけです。

 

 この時、都合よく解釈している幸福を分析するとどうなるか?

 勝てたのは相手のエースがケガしてたからじゃない? グヌヌ・・・

 味方のフォローがあったおかげで点数とれたよね? グヌヌ・・・

 たった一回勝利しただけで実力を計測できるの? グヌヌ・・・

 

このように、人は事実を捻じ曲げてでも物事に対して明るい見方をしようとするため

分析されると明るくない部分にも目を向けることになり、

幸福度が低下するわけです。

 

 

2つ目の理由が

「明るい見方」は自然に出会ったと思える事実に基づいていなければ脳は信用できない。

 

人は 無意識に事実を加工して 幸せを意識する(1つ目の理由)。

ただし、

無意識の事実の加工は 自分の都合に合わせて

見たいものだけを見ているし、見れるように細工されていいます。

これを意識的に分析してしまうと幻想による幸福感は壊れてしまうのです。

 

例えばこんな研究があります。

 参加者に ストラヴェンスキーの<春の祭典>を聞いてもらいました。

 このときに2つのグループにわけます。

  A  ただ聞いてもらったグループ

  B  意図的に幸せな気分になるように心がけながら聞いてもらった

 結果 AよりBのほうが幸福度が低く、不機嫌になりました。

 

似たような研究結果は他にもあって、

  別の研究ではコメディーを見てもらった

 A 何も考えずに見てもらったグループ

 B 意図的に笑うように指示したグループ

  結果 AよりもBのほうが、コメディーを面白くないと答えた

 

このように

明るい見方は自然に出会ったと思える事実に基づいていなければ

脳は信用できないわけです。

 

 

従って、 大事な人に幸せでいてほしいのであれば

幸せは分析しないことをオススメします。( 一般常識とは真逆ですね)

 

ちなみに、 相手に嫌われたいならどうしますか?

自分の嫌いなところや、一緒にいて不幸でしょ?という部分に注目させる。」

これは、違います。

 

本当に嫌われる行為は「 幸福度や好意の分析」

つまり、 自分といて幸せですか? それはなぜですか?どんな時に幸せを感じるのですか?

相手に聞くことによって、 破滅に向うことが可能です。

 

 

補足情報。 

  占い師の人たちが『あなたは幸せですか?』って聞くのはなぜ?

 

  A「不幸です」って答えたらどうなるか?

   『そんなあなたが幸せになるためには・・・』みたいに勧誘されたりします。

  Bじゃぁ「幸せです」って答えたら?

   『その幸せについて詳しく教えてください。』と、

   幸福を分析させ、幸福度を低下させたうえで

 『より幸せになるためには・・・』みたいに勧誘されたりします。

 

  つまり、どっちに進んでも出口は同じです。

  コワイコワイ。

 

 

と、いうことで、今日は占い師は怖いね・・・じゃなくて

幸福度に関する内容でした。いかがだったでしょうか?

 

ではまたノシ